
“まほら”とは、[まほろば」の原語で、すぐれたよい所、ひいでた国土を表します。 万葉集、山上憶良(やまのうえのおくら)の文に出てくる言葉です。
美しい山々に囲まれた豊穣の地に山形・高畠町「まほろばの里」です。山形の玄関口である米沢の北東、文珠山・ババ岳の南西麓から南麓一帯と豪士山(1022.4m)の西麓に開かれた小盆地に立地しています。盆地を流れる稲子川などの渓流は谷が浅く水量は乏しく、農業用水に苦しんだ地域でもありました。元禄四年(1691年)の幕府検地までは一村でしたが、検地により東から上和田村・北和田村・中和田村・下和田村の四村になりました。この地位には縄文時代中期の土器や石器の出土や古墳があり、また、伊達氏時代の館崎(後藤)主膳の館跡や南部の上小倉(もと上和田村地内)の杉林中には、「寛正元庚辰十月沢中十四人」と刻まれた小さなお地蔵さまもあり、昔から人々が棲みついてきた地域で犬の宮・猫の宮などの多くの逸話や伝説もあります。
英国の女性紀行作家イザベラ・バード(1831年10月15日-1904年10月7日)は、明治時代の東北地方や北海道、関西などを旅行し、その旅行記「Unbeaten Tracks in Japan」(日本奥地紀行)の中で、日本を安全で心温かなおもてなしの民であると絶賛しています。そして高畠も訪づれ、この地を「エデンの園」とし、その風景を「東洋のアルカディア」と評しています。
宮崎駿監督のアニメ「となりのトトロ」の風景モデルとなり、有機農業の理念を語る青年との恋物語「おもひでぽろぽろ」の原点ともなった農村です。
米沢市から川西町、そこから飯豊町、あるいは飯豊連峰の清流を田んぼに灌漑して稲作をやっている所には広々とした美田地帯に屋敷林が点在しています。様々な木々が家の周りに植えられ、それが百年、二百年と経って鬱蒼と繁っています。このような農村風景は一朝一夕にできあがったのではなく、今から二百五十年ほど前に上杉藩の中興の祖と言われた上杉鷹山公が、新しい村づくりのなかで、田んぼの水利を確保するための土木工事とか地場整理をしっかりやって、生産を豊かにする手立てをしたというあたりから、今の形が徐々にでき上がってきたのではなかろうかと思います。優れたリーダーの考え方に共鳴し、数え切れない多くの常民、つまり無名の百姓の力、汗と労働力と技がそこに注ぎ込まれて、今のような農村景観をつくりあげてきたのだと思っています。昔から持続可能な生活様式を営み続けています。
現代の桃源郷を誇りに、これからも脈々と続いてきた自然環境や農村文化を守り続けたい日本の故郷・農村の一つです。
●大きな大きな赤松と欅の大木 ●大きな大きな藁葺き屋根の家 ●大きな大きな目をしたベコ ●大きな大きなすももの木 ●お蚕さんの桑葉を貪る音 ●清流での渓流魚つかみ ●夏の蔵の涼しさ ●仏間の静寂さ ●初恋の想い出 |
●夏の落雷と稲光 ●畑でのスイカ割り ●蝉捕りに夢中の夏 ●堤燈行列のお盆の夜 ●世界地図を描いた寝床 ●稲穂が頭を垂れる田んぼ ●山盛りのトウビキやスイカ ●今でも落ちてきそうな夜空の星 ●完熟トマトを畑で内緒でほうばったあの頃 |














<まほろばの里は牧歌的で素朴な懐かしい故郷> 「まほろば」とは古事記や万葉集に出てくる古くからの言葉で 「周囲を丘や山々で囲まれた、実り豊かな土地で住みよいところ」 として実り多き豊かな里として知られています。 一帯には洞窟や岩陰群、古墳群が点在、縄文創期(約1万年前)から 人々が住みついてきました。
草木国土悉皆成仏(ソウモクコクド シッカイジョウブツ) すべてのいのちは自然により生かされていることを自覚する 「祈りの文化」が種蒔く常民に綿々と受け継がれています。 ![]()
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カミ宿る「たこ杉」 「瓜割石庭公園」(旧「高畠石」切り出し場) 無数の気泡がある火山灰の堆積でできた高畠石です。
「高畠石づくりの旧高畠駅(山交交通高畠線)」
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※「賜の湯」JR置賜駅より徒歩10分以内と近場です 但し、まほろば人は歩きません 冬季の歩きは多分「遭難」します(^_^) タクシー利用は高畠駅からとなります







「山の民・田の民・海の民」のバランスの中で、昔から森の中にカミを見出して、自然と共に生きる人のありようを大切にしてきました。 ところが、このバランスの中で生きてきた日本の民は、新たな「都会の民」の登場により、そのバランスを失っていきました。 山は荒廃し、雨が降ると大量の洪水となり、都会の民の生活に大きな経済的損失をもたらす。 あるいは、川の水が汚染されれば、植物プランクトンが減り、都会の民の生活だけでなく、海の民の生活を脅かすことになる。 この対応のため、都会の民は、ダムや排水処理施設を性急に建設しては、その場しのぎの策を講じてきた。 山はまさに土のお山になる。都会からダンプが行き交い土のお山を作る。 この策のため、ますます山の民・田の民・海の民のバランスを崩す結果となった。 もはや、日本の民には、森はカミの棲む処という認識が稀有になってしまったのか・・・持続可能な社会を実践にしてきた日本の民 後世の子供たちの財産が取り返しのつかないものになる前に有機農業を通じて、このあたりの所から再認識をして行きたい。 |
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